筆者は長野市にある小さな私立のカトリック大学(清泉女学院大学)で、専門の神学と哲学の他に、共通教養(いわゆる一般教育)の英語を教えている。
共通教養の英語であるから、教える対象としているのは英文科や英語科等で英語文献を専門に講読することを前提とする学生ではない。
したがって、英語を専門とする学生に比べれば、その英文読解力は落ちるものの、簡単な英文であれば、辞書片手になんとか解読することができる学生の数は少なくないというのが、二十数年前、大学で教え始めた当時受けた印象である。
しかし、ここ十数年、担当する学生が、英文の読解が非常によくできる学生とほとんどできない学生と二極化し、できない学生の数がどんどん増加していると感じるようになった。
そして、あちこちの大学の英語担当教員と意見交換する際、筆者と同じような感想を抱いている教員が少なくないことがわかってきた。
一昔前まで、大学の共通教養の英語テキストと言えば、ある程度の難易度の英文で書かれた講読文献を、一回の授業で、最低1、2ページ、一学期、一講座で一冊、あるいは主要部分を読解するというような授業が少なからず成立していた。
しかし、現在、大学の共通教養の英語テキストは、英語を「聞き」、「話す」という技能の向上を目指すものは増加したものの、読解用の英文の難易度は低下し、「英語文献を読む」という名に値するような講読量を課すことを目指すテキストは減少してきている。
それは、英語を「読み」「書く」よりも、「聞き」「話す」ことができるように教育すべし、という社会的な要請を反映しているためとも考えられるが、それ以上に、以前のような講読テキストを読解することが能力的に不可能な学生が増加してきていることが主な理由のひとつと考えることができる。
現在、大学は全入の時代を迎えている。これまで、大学に入学するためには、多くの場合、何らかの選抜試験を潜り抜ける必要があった。
しかし、全入時代を迎えて、いわゆる難関大学を志望しない限り、大学という教育機関に入ることが比較的容易になってきた。
そのため、多くの大学が、学生獲得のために入学試験の難易度を下げたり、推薦入試やAO試験(アドミッション・オフィス試験)等、面接、小論文など、学力試験を課さない種類の選抜方法を増やすようになり、結果的に、学力的に低いままで大学に入学する学生が増加するようになったのである。